荒神山は 霧と雨
今日は、年金者組合 彦根・愛犬支部の荒神山ハイキングサークルの例会日。
20年ほど前から、荒神山のアカマツが次々と松くい虫に侵されました。
その中で、最近まで頑張っていたアカマツの大木が遂にやられたようです。
明治4年当時、日夏村 ( 現在の彦根市日夏町 ) の人たちは 生活が大変苦しかったために、 荒神山の木を競って伐採し、 お金にかえました。
このため、 荒神山は わずかな年月の間に 山全体が禿山 ( はげやま ) となり、 山崩れも発生しました。
このことに心を痛めた若き戸長※大橋利左衛門は 「 禿山になった荒神山を 何とか 昔の姿にもどし、 村人たちのためになる緑豊かな山にしなくては・・・ 」 と 考え、
村人たちを集めて 「 山に木を植えよう! 」 と 呼びかけました。
「 そんなお金が どこにあるのだ! 」
「 毎日、 そんな仕事をしていたら どうして生活していくのだ! 」 と いって反対する人も ありましたが、
利左衛門は 村人を説得し、アカマツの植林を おしすすめました。
また 荒神山へは 薪を拾いに行かないことや そのための見回り役なども 決めたりしました。
雨の降る日も、 風の吹き荒れる日も、 一日も休まず 山林を見回る利左衛門の姿は 村人たちの心を動かし、 みんなが 利左衛門に協力するように なりました。
利左衛門は 荒神山の植林のほか、 日夏街道の開通や治水の仕事を行うなど、 地域の人々のために貢献しましたが 37才の若さでこの世を去りました。
昭和37年、村人たちは 荒神山を緑の山によみがえらせた利左衛門の数々の功績をたたえ、 宇曽川にかかる天神橋のたもとに 石碑を 築きました。
※戸長:明治初期、町村にあって行政事務をとりおこなった役人。いまの町村長にあたる。
このように、先人が苦労して植えたアカマツですが、今では殆んど枯れてしまい、その後に 次の木々が繁り、荒神山は 新しい歴史を作っていると 言えるのでしょう。