100歳の日野原重明さんが訴え

聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは、2000年に 「 新老人運動 」 を 提唱し、

この趣旨に賛同する人たちが 11年前に 「 新老人の会 」 を つくりました。

今では、 全国に 1万1700人、 京都 ・ 滋賀に 230人余の会員が いるそうです。

「 新老人の会 」 の 3つのモットーは 「 愛し愛されること 」 「 創めること 」 「 耐えること 」 で、

同会の究極の目的は 「 いのちの大切さ 」 を 語り継ぎ 「 世界平和の実現 」 に 寄与することだ そうです。

今日 4月7日、 ひこね市文化プラザで、 日野原重明さんの 100歳記念講演会 が 行われ、

グランドホール は 約1000人 の 聴衆で 溢れていました。

講演会のパンフレットによれば、 この講演会の実行委員長は 民主党の県会議員で、

壇上で来賓として挨拶したのは、 嘉田知事 と 二人の民主党国会議員でした。


100歳とは思えぬ力強さで 講演する 日野原重明さん


日野原重明さんは 講演の中で、 次のように 訴えました。

「 日本は、 もっともっと あらゆることを 革新しなくちゃならない。

いちばん 革新しなければならないのが 政治であるけれども、

今は どうもねぇ、 マニフェストと言ってもね、 しょっちゅう変える、

談合して変える、 選挙する人には、 ちゃんと言ってるのに、 それを変えてしまう。

言ったことは どうしてもやるのが 政治ですよ。

もっともっと 日本を革新するために、 政治段階ではない 『 新老人の会 』 のような会が、 日本を動かし、 世界を動かしていくことだ」

このように 日野原重明さんは、マニフェストを裏切るような政治を革新するために、老人が行動に移すよう訴えました。

それにしても、 ずらりと並んだ民主党の議員さんには 耳の痛い話でしたね。

また、東北を訪れ 津波による惨状を見てきた と 話した後、

「 私は津波の跡を見てね、 こんなになるのを、 どうして、何で 準備をしなかったのか。

日本は 2000年前から、 必ず 40 〜 50年毎には 津波が起こっているんですよ。

それを いい加減にして 、情報が 徹底してない。

だから、 逃げ遅れたり、 逃げた場所が低かったりで 死んでしまう。

鴨長明は、 900年も前に 『 方丈記 』 に、 『 地震津波ほど 恐ろしいことはない 』 と 書いている。

2000年以上前の旧約聖書に、

『 かつてあったものは、これからもある。かつて 起こったことは、 これからも起こる 』 と 書いてある 」

日野原重明さんは、 「 旧約聖書に 『 かつてあったことは、 これからも あるのだから、 準備をすべきだ 』 と 書いてあるのだから、 もっと勉強して欲しい 」 と、

歴代政府が津波対策を怠ってきたことを、 鋭く指摘しました。

続いて、日野原重明さんは、

「 皆さんは 命をもっているが、 いつ壊れるか分からない。

いろんなことで 壊れる。

病気、 交通事故、 JR西日本福知山線脱線事故タイタニック沈没事故のような 乗り物の事故、 天災。

それから 原子力発電所の事故は 人災ですね。 これは 調べ方が 十分でなかったから。

『 石油は 無くなってしまうんだから、 その時のエネルギー源は 原子力しかない 』 と 言うんだったら、

日本だけでなく 世界中の学者が集まって、 これなら大丈夫という結論を出し、 手を打ってからやる。 それまでは 保留して運行しないことが 必要だ。

日本だけで考えても駄目で、 こういう時に 世界が一緒に考えることが必要です。

放火、 自殺も多い。

老人が 一人で住んでいて、 いつの間にか 死んでいるという以外に、

『 お金が無い 、一人でいても どうしようもない 』 と いって 首を吊って死ぬ老人が多いというのは 非常に悲しいことで、 何とか 防がなきゃならない。

でも、 いちばん 悪いのは 戦争ですよ。

兵隊や将校だけでなく、 市民が死ぬ。

その最たるものが 原爆で、 広島、 長崎で 16万人の市民が 死んでいる。

だから、 戦争というのは あってはならない訳です。

アメリカは、 9・11事件で、 テロに対して 反撃しました。

アメリカの反撃、 爆撃で 市民が たくさん死んでいます。

市民が たくさん死んだ、 だから テロが 更に大きくなって 広がった訳ですから、

『 やり返すことは、 それをとめる 』 訳では ないんですよ。

かえって、 反駁が 来るんです。

だから、 どこかで 『 許す 』

『 今度から やるなよ 』 と 言って 『 許す 』 ことが、 解決になる。

『 許し 』 が 必要になる 」

と、アメリカと、 それに 追随する日本政府の軍国主義を 痛烈に 批判しました。


さらに 日野原重明さんは、

「 運命は、 与えられたもの、 不可抗力のものだというのが 今までの 一般常識であった。

しかし、 家族が死んだり、 海外出張になったりして、 環境が変わる時に、

違った環境に入った時に、 新しい自分の運命を 自分で作れる。

努力すれば、 自分の運命を 自分で デザインすることが 出来る。

そのためには、 人との出会いが 非常に 大切です。

良き友と 一緒に 行動することです。

自分が生きている間に 完成させようと思うと、 大きなビジョンを 持てない。

世界平和のために前進するために、 大きく手を広げ、 大きなビジョン、 大きな夢を持って 努力しよう。

そうすれば、 次の世代の人が それを 引き継いで 完成させてくれる」

と、老人が 人との出会いを大事にし、力を合わせ 世界平和のために、大きなビジョンを持って 行動しよう と 呼びかけました。