秦荘東仏教会 「四恩会」 が毎年恒例の 「仏教徒 平和のつどい」

愛知郡愛荘町の 秦荘東仏教会 「四恩会」 ( しおんかい ) は、毎年8月下旬に 「仏教徒平和のつどい」 を開いています。

今年は、8月21日(日)午後1時30分から、ハーティーセンター秦荘 大ホール で行います。 (入場無料)

第1部は 「全戦没者追悼法要」

第2部は 作家西村滋氏の講演 「ふしあわせという幸福」

アトラクションは、県立盲学校OB 「ラニハワイアンズ」 のバンド演奏


昨年の「第16回仏教徒平和のつどい」で、四恩会の安孫子義昭会長 (年金者組合副支部長) が述べた 「表白」 (ひょうびゃく) の要旨を紹介します。

「表白」 とは、法要の趣旨を述べるものです。



本日 ここに 四恩会主催 『第16回仏教徒平和のつどい』 を開催し、有縁の方々と共に 全戦没者追悼法要をおつとめいたします。

謹んで思いますに、三界は火宅無常であり 衆生の煩悩はいよいよ盛んであります。

親鸞聖人は 「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいをもすべし」 と この身の悲しさを お述べになりました。

かえりみますと、人類の歴史は、我執(がしゅう)より生ずる戦争の歴史であり、とりわけ、20世紀は戦争が絶え間なく繰り広げられ、数え尽くせないほど多くの尊い生命が失われてきました。

仏教界も教義をねじ曲げてまで、国の戦争遂行政策に加担し、門信徒を戦場に送り出すのに一役を担う過ちを犯しました。

今年は、我が国がお隣の韓国、朝鮮半島を武力をもって一方的・強圧的に不法・不当にも併合するという暴挙を犯して、百年目であります。

植民地支配により、国を奪い、文化を奪い、言葉を奪い、名前まで奪い、多くのいのちをも奪いました。

このことは、真の友好関係を築くために、決して忘れてはならず、二度と同じ過ちを繰り返さないという決意を新たにしなければなりません。

我が国近代の歴史は、あたかも戦争に明け暮れた時代でありました。

わけても、1931(昭和6)年9月18日に、中国において 「満州事変」 を引き起こし、日中戦争へと拡大させ、さらに1941(昭和16)年12月8日には太平洋戦争に突入し、1945(昭和20)年8月15日に日本の敗戦によってようやく戦争が終結するまでの15年もの長きにわたって、敵味方の兵士はもとより、一般の人々、朝鮮半島、中国大陸、東南アジア諸国の人々をも戦渦に巻き込み、おびただしい犠牲者を出しました。

その数は、日本において三百数十万人、アジア太平洋地域では二千数百万人、全世界では 七千万人と言われています。

そのうえ、他の生物の犠牲は 計り知ることができません。

21世紀こそは戦争のない平和な地球を具現したいとの切なる願いも空しく、今もなお、各地の戦争によって 無惨にいのちを奪われる人の数は増え続け、資源の浪費と自然環境の破壊をもたらし、また、核兵器によって全人類のみならず 地球上のすべての生命が脅かされています。

昨年来、「核兵器のない世界」を構築しようという動きが、ようやく真剣味を帯びて国連を中心に世界の国々に広がろうしています。

一日も早い核兵器廃絶のため、人類の叡智を集めた話し合いを一層進めなければなりません。

武力を用いた報復は、決して問題の根本的な解決にはならず、かえって抜き差しならぬ憎しみの連鎖を引き起こすことを、歴史の事実から知らされました。

お釈迦様は 「怨みは怨みによって鎮まらない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる」 と教えてくださっています。
 
戦争は、実に人類最大の罪悪であり、愚行であります。

そこには個人の自由や、人間性や、あらゆるものの生命の尊厳など顧みることのない、修羅と地獄の世界が現出します。

私たちは、こうした愚かな行為を再び繰り返さない道を、慚愧の心と共に仏法に学ばなくてはなりません。

広島で被爆し、8年後の昭和28年(1953)年に38歳の若さで亡くなった詩人峠三吉は、「にんげんをかえせ」 など、多数の詩を残しています。

ちちをかえせ ははをかえせ

としよりをかえせ 

こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり

くずれぬへいわを

へいわをかえせ

(『原爆詩集序』)

とうたい、そして、「これは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひそやかにまばたいている生得の (生まれつき身に備わっている) 瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべられざるをえぬ優しい手の中への、せいいっぱいの贈り物である。どうかこの心を受け取って頂きたい」 と述べています。

今日、敗戦65年を経て、戦争の悲惨さを知らない世代の方々が多数となりました。

戦争を体験した私たちは、永く語り継いでいくべき責務を負っています。
老いたる者も 若き人も 無関心であることの罪深さを知るべきであります。

本日の法要により 私達は 亡くなられたすべての方々を思い、追悼の心を新たにすると共に、その悲しみを 痛みを ただ肉親の情にとどめず、国を超え、民族を超えた思いとし、非戦平和への行動として表さねばなりません。

まことに、阿弥陀如来は、智慧によって罪業深重の身と気づかせ、慈悲を持って憐れみたまい、南無阿弥陀仏の名号を与えて 平等に 私たちを真実のさとりに 至らせてくださいます。

今、この集いに参加する人々とともに、全ての戦争犠牲者が等しく願われた 「兵戈無用」 (ひょうがむよう) すなわち、「軍隊も武器も要らない真の世界平和」 と、「怨親平等」 (おんしんびょうどう) すなわち、「敵も味方もないお互い兄弟姉妹として、いのちを共にし、敬愛し合う社会」 の実現を願い、仏祖の遺弟としての自覚を持って、常に如来の御本願を仰ぎ 聞法するとともに、真の平和と安穏の世界の実現に向かって努力精進をいたすことを決意し、ここに全戦没者追悼法要を厳修いたします。

 2010年8月22日        四恩会会長 安孫子義昭 敬って申し上げます。



第2部の講師 西村 滋(にしむら しげる)氏は、1925年4月7日、名古屋市で生まれました。

父親が日野町、母親が長浜市出身なので、「滋賀県」 にちなんで 「滋」 (しげる) と名づけられたそうです。

6歳で母と、9歳で父と死別し孤児となり、以後放浪生活をしました。

1952年 処女作『青春廃業』 を発表。

1975年 『雨にも負けて風にも負けて』 で 「第2回日本ノンフィクション賞」、

1976年 『お菓子放浪記』 は全国青少年読書感想文コンクールの課題図書となり、木下恵介によりTBSテレビで連続ドラマ化され、好評を博しました。

1985年 『母恋い放浪記』 を中心とした作家活動で 「路傍の石文学賞」 を受賞。

今、話題の最新作映画 「エクレールお菓子放浪記」 の原作は、西村滋さんの自伝的作品 「お菓子放浪記」 です。

戦災孤児になったアキオが、様々な人と出会いながら生き抜く姿を、甘くて人を幸せな気持ちにするお菓子を通して描いた映画です。

現在、全国で上映されており、滋賀県でも上映運動が始まっています。

7月26日(火)午後2時から、近江八幡市男女共同参画センターで試写会が行われるそうです。


仏教徒 平和のつどい」 についての お問い合わせは 正光寺(しょうこうじ) 電話 0749−37−2218 安孫子義昭さんまで お願いします。

また、映画 「エクレールお菓子放浪記」 については、こちらへ。